映画『百年と希望』に寄せて
2015年5月14日。この日、私の人生は決定的に変わった。当時の自民党・安倍内閣が「国際平和支援法案」、その後可決成立することになる、いわゆる「安全保障法制」を閣議決定した夜、私はカメラを持って首相官邸前にいた。そこでは学生たちを中心に、集団的自衛権を認めることは憲法違反である、という真っ当な主張のもと抗議活動が行われていた。デモ終了後、参加者たちに声をかけ、直接対話をするなかで、このひと周り歳下の若者たちと連帯しないといけない、と直感した。それから7年が経ち、私の30代も終わりを迎えようとしている。この間の政権への評価については、意見の分かれるところであろう。
本作の始まりは、2015年に出会った無数の友人たちとの繋がりから生まれている。抗議活動を伝えるために毎週、国会議事堂前に通う中で、多くのジャーナリストや政党関係者と顔なじみになった。そして日本共産党の職員とも友人となった。2019年あたりだったと記憶しているが、その友人と立ち話をする中で2022年に共産党が創立百周年を迎えることを知った。そして2020年の頭に、その友人と再会したとき、「党員ではない視点から、共産党についてのドキュメンタリーを作れたら面白いのではないか」という話で盛り上がった。企画書を作ってみようと思った矢先に、パンデミックが襲った。私はSAVE the CINEMAというミニシアター支援のために発足した団体に参加し、政治家や省庁に陳情を行うこととなった。(これまでは社会運動を記録する側の人間だったが、社会運動をする側の立場となった)。文化庁を訪問した際、共産党の女性議員が同行してくれた。初めての陳情でまごついている私たちを察してか、二人は文化庁の担当者に対し、いま文化芸術施設が置かれている窮状を代弁して伝えてくれた。代議士という存在を、身をもって体感した瞬間だった。それらの活動を経て、より日本共産党への興味が湧いた。党に寄せられている誤解を解きたいとも思った。そして、この映画を作ることができるのは、僭越だが、自分しかいないのではないか、という勝手な使命感もあった。
2021〜22年にかけて、多くの偶然に支えながら、撮影を行うことができた。クラウドファンディングで製作費を支援くださった方々には、心から感謝を申し上げたい。この映画では、私が話を聞いてみたい人や、興味が湧いた人を中心に撮影を行った。勿論、本作が日本共産党のすべてではないし、あくまで私からみた日本共産党の99年目の姿であることを強調しておきたい。私が一番、この映画で痛感したことは、いかに家父長制と新自由主義がこの国を蝕んできたか、ということである。それに対して声をあげ、変えようとする人を私は尊敬するし、その眼差しが映画にも込められていればと願っている。男は常に語りすぎてきたし、聞くことから始めないといけない。タイトルには『百年と希望』と名付けた。百年の時が流れても、希望はこの世界の至る所にあるし、諦める必要は全く無い。希望は死なない。
映画で政治を扱うとき、映画そのものが政治性を帯びてしまう危険性は拭えない。私自身にも「左翼監督」「活動家」という批判は巻き起こるだろう。(特に、映画をみていない人たちより。2015年から常に経験していることではあるが)。しかしそれでも、私はこの映画を作りたいと思った。「こんな社会に誰がした?」と嘆く前に、私は「こんな社会でいいのか?」と声をあげたい。怒りを込めて。そう、私にとって映画をつくることは、私なりの、声をあげる方法なのだ。新しい自分になるのは簡単ではない。しかし、変わらないといけない。その事を、いまの日本社会に、そして自分自身に突きつけたい。問われているのは、いつも、たった一人の”私”なのだから。