Now and Then (2026) 『ナウ・アンド・ゼン』
26年8月29日(土) ユーロスペースほか全国順次公開
[イントロダクション]
百年前の死は、今日も繰り返されている
2023年、日本の国会では難民についての法改正が議論を呼んでいた。政府による難民認定を更に厳格化しようというものだ。不認定となった者が収容される入管施設では死者も出ており、その環境は長年、問題視されている。この現状を変えようと、多くの市民が声を上げはじめた。
日本人による外国籍の人々への迫害は今に始まったことではない。1923年、関東大震災の混乱の中で、警察や自警団などが朝鮮人や中国人を虐殺するジェノサイドが起きた。犠牲者は6,000名とも言われている。しかし、いまだ日本政府はこの問題を公式に認めていない。そして2026年、排外主義を掲げる政党が躍進をしている。
過去と今の“声”を繋ぐドキュメンタリー
過去の虐殺と、現在の入管問題は、未だ清算されていない「植民地主義」で繋がっている。カメラは、様々な立場の人間たちの思いを記録する。登場するのは、難民支援をつづけるアクティビスト、仮放免中の当事者、朝鮮人虐殺の証言を継承する市民グループやドキュメンタリー監督、そして研究者。それらの断片が全体を構成し、「今とあの時」が浮かび上がってくる。
本作の監督を務めるのは『百年と希望』『わたしの自由について』の西原孝至。10年来、若い世代の社会運動を記録しつづける映画監督は、百年前の大虐殺と日本の難民制度の根底にある「差別」の歴史を掘り起こし始める。やがて東京の風景には、植民地主義の歴史と向き合うという未解決の課題が響き渡るようになる。
A college student, along with her peers in Japan, rally to change the country’s hostile immigration laws that have incarcerated asylum-seekers in deadly detention centers. Meanwhile, over a century since the 1923 massacre of Korean people during a massive earthquake in Imperial Japan, young activists today take on the torch to seek justice under a government that continues to deny this history. A filmmaker documenting these young activists on the ground begins to excavate the underlying history of discrimination that connects the massacre of a hundred years ago and the draconian refugee system in Japan. Through the process of listening to voices from the past and present, the landscapes in Tokyo begin to echo the unfinished business of the nation’s reckoning with its colonial history.
[ストーリー]
2023年6月に与党の賛成多数で改正入管法が可決された。この改正により、難民認定を求める3回目以降の申請者が強制送還の対象になるなど、日本にたどり着いた難民の状況はさらに深刻化している。こうした状況を変えるべく、多くの市民が行動を起こしている。大学生の宮島ヨハナは学内に難民支援団体を立ち上げ、国際基準に沿った入管法への改正を求めている。東京で牧師を務めるヨハナの父・牧人は、これまでに200人以上の仮放免者の保証人となってきた。
入管法が改正された2023年は、1923年の関東大震災の際に起きた、朝鮮人や中国人に対する虐殺事件から百年が経過した年でもあった。この虐殺は、虚偽の情報が広められたことが引き金となったものであり、その犠牲者は6,000人に上ると推定されている。日本政府は未だこの事件を公式に認めていないが、アーティストや映画製作者、そして市民団体が、この隠蔽されてきた歴史を広く一般に知らせるために活動している。若者たちのグループ「百年(ペンニョン)」は、市民が虐殺現場を訪れるワークショップを定期的に開催している。映画監督のオ・チュンゴンは、学生時代に朝鮮人虐殺に関するドキュメンタリーを制作し、当時何が起きたのかという事実を広めるため、40年に渡り上映活動を続けている。そして、カメラは研究者や仮放免当事者の声を記録していく。
本作は、百年の隔たりがある日本の歴史上の2つの出来事、すなわち「現在の難民・移民問題」と「1923年の大虐殺」に焦点を当てている。そして、解決にむけて奮闘する活動家たちの姿を通し、国家が容認してきた排外主義の長い歴史と、植民地主義の歴史を未だに反省せず、忘却に舵を切ろうとする国家的なアイデンティティを鋭く見つめている。
[スタッフ]
監督・撮影・編集・プロデューサー: 西原孝至
プロデューサー: 増渕愛子
撮影: 山崎裕 飯岡幸子 井手口大騎ダグラス
音響: 黄永昌
録音: 川上拓也
編集: 大川景子
音楽: 篠田ミル
製作・配給: ML9
2026年/72分/カラー/DCP/日本
[監督メッセージ]
私は2015年頃から、日本の社会運動についての撮影を始めた。きっかけは、安倍元首相が推進した、憲法に違反する「安保法制」への抗議行動だった。以来、日本の人権や社会問題をテーマにした映画制作をつづけている。
2018年、私は日本の難民制度に関する短編ドキュメンタリーの監督を依頼され、その制度の非人道性について多くのことを知った。その後も継続して、この現状を変えようと活動する若い活動家たちを追う中で、1923年の関東大震災の際に起きた朝鮮人虐殺の事実を風化させまいと尽力する人々にも出会うようになった。過去と現在における帝国主義や国家による暴力、そして未だにつづく植民地主義。現在の排外的な制度と百年前の凶悪な虐殺が、直線的な時系列の中に存在するのではなく、交差し、共存していることに気づいていった。
「私たちは、何を見ないことにしてきたのか」。この映画を通じて、為政者が忘れようとする悲惨な過去と現在を、複雑さを置き去りにすることなく、より深く見つめてみたいと思った。私は、特に日本社会に生きる人々に向けて、政治と生活はつながっていること、そしてより良い社会を築くために、私たち一人ひとりが役割を果たさなければならないことを、呼びかけたい。その思いから、この映画は生まれた。
西原孝至
[応援コメント]
どんな人にも生きる権利がある。そんな当たり前のことのはずなのに。
体調の悪さを訴えても無視され、治療も受けられず亡くなった命。
関東大震災の時にデマによる差別が広がり虐殺された人たち。
昔も今も、あらゆる差別は根底でつながっている。
私たちがまずやるべきことは、事実から目を逸らさず、認めること。
坂本美雨(ミュージシャン)
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再会した学生時代の友人が、悪気なく「不法移民」への恐怖を口にしていた。昔聴いていたアーティストが国粋主義に陥った。読んでいたウェブ漫画には「良い外国人」というコメントがあった。とまあ、嫌になるほど憎悪が日常を蝕むこの時代に『ナウ・アンド・ゼン』は約100年前の朝鮮人虐殺と、現在の入管収容問題、そして蔓延する排外主義を一本の線で結び、この国が抱え続けてきた性格を見つめていく。国が未精算のまま忘却へ押し流そうとしてきた歴史を、それでも多くの人々が語り、つないできた。その記憶と声はこの映画を通じて「今」の私たちへと手渡される。二度と「あの時」を繰り返さないために。
ISO(ライター)
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目の前で、命の危険に晒され救いを求めている。
それを助けない人がいたらあなたはどう思うだろう。
人がたくさん殺されたのに、そんな事実はないと
言っている人がいたらあなたはどう思うだろう。
それが、国や行政がしていることだったら
それが、あなたの国の話だったら
どう思うだろう。
過去が現在をつくる。
同じ過ちを繰り返さないためには、過去から学ぶほかない。
これはそのために絶対に必要な作品だ。
私たちがなにをしてきたのか、そして、なにをしているのか
確かめるために観て欲しい。
eri(デザイナー・アクティビスト)
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日本を構成する主体は、脱帝国化に手をつけないまま、ここまで来てしまった。清算されなかった帝国は、消えたのではなく凍結されていただけで、いま再び動きはじめている——歴史の抹消として、そして排外主義として。私たち大多数がそれを見ずに済ませてきたかたわらで、植民地支配の残響を生き抜き、誰よりも早くその動きに気づいて行動している人々を、この映画は映す。
空音央(映画監督)
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100年前の関東大震災時の虐殺と、現代の入管行政が映画の中で呼応する。他の国につながりをもつ人々を侮蔑的に扱い、文字通り生命まで奪い、あるいは死の危険の待つ国へと送り返す。この日本という国のグロテスクな歴史は、現在にもその黒々とした影を落としている。この国で生きるすべての人々に、これをどう考えるのか、どうするのかという問いが突きつけられている。
本田由紀(東京大学大学院教授)
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叫び出しそうな理不尽に襲われたとき
叫び出す力がその身に残されている人は
どれだけいるのだろう
その問いの答えの先までを
きっと想像した人たちの姿が
スクリーンには映っていた
街に出て誰かと声を重ねることも
歴史を学び、伝えようとすることも
映画を撮ること、観ることも
祈ることも
私たちにはまだ沢山の方法が残されている
川辺で揺れる草木が
何を見聞きしてきたのかを
想像するために
井戸沼紀美(上映と執筆「肌蹴る光線」)
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負の歴史を繰り返さないための種を蒔く。それに水を与え、嵐や害虫から守りながら育て続ける。そんな、いつ実を結ぶかもわからない営みの先に花が咲くのを、わたしは2025年のインドネシアで目撃した。
この年の反政府デモでは、1998年の華人排斥暴動の再来を思わせる脅迫やデマがSNSにあふれた。しかし、市民は過去の教訓を生かし、「Rakyat jaga rakyat(人々が人々を守る)」という言葉のもとで手を取り合い、ヘイトの連鎖を押し返した。それは理想論ではなく、確かに咲いた花だった。
蒔かれる種は、多いほどいい。この映画もまた、その種を遠くへ運ぶ鳥や風になると信じている。
川上アチカ(フィルムメーカー)
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なかったことにできないことを、しょうがないなんて言えないことを、絶対になかったことにしないように、しょうがないことにしないように、試みつづけるひとたちがいる。静かな映像から伝わってくるのは、人々の呻きと怒りである。確かに歴史に刻まれることになったこの作品は、あなたとわたしの間にある。わたしたちはもっと、この作品がうつしだしていることについて、いたるところで話すべきだ。
永井玲衣(作家